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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)4788号 判決

原告

和泉寛子

原告

和泉克介

右訴訟代理人

廣田富男

倉科直文

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右訴訟代理人

松浦登志雄

右指定代理人

櫻井登美雄

外五名

主文

一  被告は原告らに対し、各金一六五万円及び内各金一五〇万円に対する昭和五二年二月八日から、内各金一五万円に対する本判決確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの、その一を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、各金八二五万円及び内各金七五〇万円に対する昭和五二年二月八日から、内各金七五万円に対する本判決確定の日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者と典子の出産

(一) 原告和泉寛子(以下「原告寛子」という)は、昭和五一年五月ころ、夫である原告和泉克介(以下「原告克介」という)との間の嫡出子(第三子)を懐妊し、同年七月二二日、被告の設置する小田原市酒勾六の三大蔵省印刷局小田原病院(以下「小田原病院」という)において、担当の産婦人科医である三浦秀輔医師(以下「三浦医師」という)から妊娠八週と診断された。

(二) 原告寛子は、翌昭和五二年二月八日、同病院において第三子である和泉典子(以下「典子」という)を出産した。

2  典子における障害

典子は、出生時体重が一八四〇グラムしかなく、出生時から肺動脈狭窄、心奇形による疾患(ファロー四徴症)を有し、しばしば酸素欠乏による心臓発作、血行障害を起こした。

また、その後白内障、騒音性聴力障害等の障害があることが確認され、昭和五二年七月ころ、先天性風疹症候群との診断を受けている。

これらの障害のため典子は満三歳を過ぎても、一般の幼児と異り、立つことはもちろん、這うこともできず、目や耳により他と意思を交わすこともできない(言語も発することができない)状態にあつた。そして、昭和五五年六月一〇日、右のような状態が改善されないまま、心不全により死亡するに至つた。〈以下、省略〉

理由

一当事者及び典子の出産と障害

請求原因1の事実及び同2のうち、典子の出生時の体重が一八四〇グラムであつたこと、典子には出生時からファロー四徴症があり、しばしば酸素欠乏により心臓発作、血行障害をおこしていたこと、その後同女に白内障が発生していることが確認されたことはいずれも当事者間に争いがなく、同2のその余の事実は、〈証拠〉により、これを認めることができる。

二先天性風疹症候群と医学界の対応

〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められ〈る。〉

1  妊婦が妊娠初期に風疹に罹患すると、風疹ウイルスが発育中の胎児に影響を与え、出生児に先天的な異常を生じさせることがある。これが、先天性風疹症候群と言われるものである。

その臨床症状は多彩であるが、主要なものとして、動脈管開存、肺動脈狭窄、心室中隔欠損等の心奇型、白内障等の眼疾患、感音性難聴、血小板減少症、精神発達遅延などがあり、これらの症状が合併した重篤な例もある。

先天性風疹症候群の発生率については、いくつも調査報告があり、その結果はまちまちであるが、罹患の時期が妊娠の初期であればある程度高率になるという点では一致している(我妻堯、佐藤迪男、「妊婦の風疹とその取り扱い方」産婦人科治療三四巻二号(甲第一三号証)は、「文献を総合すると、妊娠第一月で一一から五八パーセント、第二月で一二から三六パーセソト、第三月で八から一五パーセント、第四月で七パーセント以下と報告されている。」としている)。また、症状の内容も、風疹罹患の時期によつて異り、心奇型、眼症状は殆ど妊娠第一、二月に風疹に罹患した場合に現われると言われている。

2  このように先天性風疹症候群は出生児に重大な影響を及ぼす危険があるため、医学界、特に産婦人科医の間で強い関心を持たれていた。本件診察が行われた昭和五一年前後に出版された医学書等においても、先天性風疹症候群に関する記述がみられ、症状等の説明の外、産婦人科医としては、妊婦が風疹に罹患しないよう適切な指導をするとともに、万一風疹らしい症状が現われたとき、或いは風疹患者に接触した危険が認められるときには、風疹罹患の有無とその時期とを適確に診断する必要があることが説かれていた。

また、昭和五一年は、風疹が全国的に流行した年に当り、日本母性保護医協会の機関紙である日母医報がしばしば右と同趣旨の記事を掲載した外、厚生省風疹の胎児に及ぼす影響研究班も、妊婦の風疹罹患の有無を確認することの必要性や、その診断基準についての見解を発表していた。

3  風疹の主な臨床症状は発熱、発疹、リンパ節腫脹であり、これらが風疹罹患を診断する一基準となることは言うまでもない。しかし、最も確実な診断方法は、抗体価検査である。抗体価検査は、風疹の病初期と回復期の抗体価を比較し、その間に抗体価の上昇があるかどうかを判定するものである。したがつて、原則としては、右の二時期に最低一回ずつ検査を行う必要がある。ただし、回復期の検査結果しか得られない場合でも、抗体価が大きければ、前述の臨床症状と相まつて、かなりの確度で風疹罹患を診断することができる。

三被告の責任

1  三浦医師による診療の経過

(一)  右の診療に関し、次の事実は当事者間に争いがない。

(1) 原告寛子が診療を受ける際、三浦医師に対し、子供が昭和五一年六月下旬ころ風疹に罹患したことを告げたこと。

(2) 三浦医師が抗体価検査をしなかつたこと。

また、〈証拠〉によれば、

(3) 原告寛子が同年六月二八日、松尾医師により風疹罹患の診断を受けたこと、

を認めることができる。

(二)(1)  原告らは、右の受診の際、同寛子が三浦医師に対し、本人が風疹に罹患したことを告げ、「妊娠しているようなら中絶したい。」と頼んだところ、同医師から「出産しても大丈夫だ。」と告げられたと主張し、原告寛子もその本人尋問(第一、二回。以下、特に断らない限り、この両者を指す。証人三浦秀輔の証言についても同じ)においてこれに沿う供述をしている。また、乙第一号証(カルテ)の最終月経欄には右診療当日の記載として、「六月二八日から風疹」という鉛筆書きの部分がある(なお、同証人らの証言によれば、右の記載は、三浦医師の前に面接に当つた木内看護婦が記載したものであることが認められる)。

(2)  しかし、〈証拠〉によれば、当時小田原病院産婦人科において優生保護法一四条の指定医とされていたのは、同科医長堀家和男医師一人であつたこと、そのため患者から人工妊娠中絶をしたいという申出があつた場合には必ず堀家医師がその患者の応待に当たることとなつており、三浦医師も同様の指示を受けていたことが認められる。そうすると、原告らの主張によれば原告寛子が風疹に罹患したことを告げ、人工妊娠中絶を申し出たのに三浦医師が自分限りでその処置をしてしまつたということになり、これは非常に不自然である。

(3)  また、前述のカルテの記載の点についても、三浦、木内両証人は、「右の記載は、原告寛子が、事前面接を行つた木内看護婦に対し、『子供が風疹に罹患した』と告げたため、その趣旨で記載したものである。本人が風疹に罹患したのであれば既往歴欄に記載するが、子供のことであつたため、最終月経欄に記載した。」と証言している。そして、右各証人の証言及び原告寛子の本人尋問の結果によれば、同原告の子供も同じころ風疹に罹患していたこと、また、小田原病院では、先天性風疹症候群への考慮から、事前面接を行う看護婦が、妊婦からその家族に風疹患者が出たことを告げられた場合には、その旨をカルテに注記する等の方法により医師の注意を促すよう指導が行われていたことが認められるから、前記証人らの説明もあながち不合理と言うことはできない。

他方、右のカルテ(乙第一号証)には、前記の記載を除くと、人工妊娠中絶の申出があつたこと等原告らの主張に沿う記載が全く存在していない。しかし、原告寛子が本当に本人も風疹に罹患したことを告げ、人工妊娠中絶手術を受けたいと希望したのであれば、事がかなり重大な問題に関するだけに、カルテに何らかの記載がなされるのが通常であろう。それにもかかわらず、このような記載が存在しないのは不自然であると言わざるを得ない。

(4)  更に、原告寛子の供述は、(イ)〈証拠〉に照らし、本件の妊娠に関しては昭和五一年七月二二日の診察がはじめての診察であつたと認められるのにもかかわらず、その前六月二〇日ころにも診察を受けたと述べていること、(ロ)七月二二日の診察の内容に関する供述も、あいまいで不自然な点が存すること、(ハ)同日の診察前に夫と話合いをし、異常児出産をおそれて人工妊娠中絶を決意したと述べているのに、診察を受けた後、夫と相談もしないまま直ちに分娩時の入院を予約したと述べていること等疑問の点が多い。

(5)  以上検討した点と、「原告寛子本人が風疹に罹患したと告げたことはない。」とする三浦、木内両証人の証言とを合わせ考えれば、同原告の供述はたやすく採用し難いものと言わざるを得ないし、「六月二八日から風疹」というカルテの記載も原告らの前記主張事実を認めるのに十分な証拠とは言い難い。

(三)  他方、被告は、三浦医師が右診察の際、原告寛子に対し、本人が風疹に罹患したかどうかを確認した(これに対し、同原告は罹患していないと述べた)上、先天性風疹症候群についての説明をし、念のため風疹罹患の有無について検査を受けるよう指示したと主張し、三浦証人は、これに沿う供述をしている。

しかし、原告寛子が松尾医師により風疹罹患を診断されていたことは前述のとおりなのであるから、仮に被告の言うとおり、三浦医師が風疹罹患の有無を尋ねた上、先天性風疹症候群についての説明をしたというのであれば、同原告としては罹患の事実を告げ、今後どのように対処すべきかを質問するのが当然であろう。それにもかかわらず、罹患していないと述べたというのは余りに不自然である。のみならず、カルテに、「六月二八日から風疹」との記載の外、風疹罹患や、関連する質問、指示に関する記載が存在しないことは前述のとおりである。そして、三浦証人の証言によれば、同医師は小田原病院の常勤医師ではなく、昭和五一年七月の一か月間だけ応援のため同病院産婦人科に籍を置いていたにすぎないことが認められるのであるから、同医師が本当に被告が主張するような指示、説明をしていたのであれば、後日のためカルテに何らかの記載をしておくはずであるのにこのような記載がないことも不自然である。

以上の点や、原告寛子が診療当日出産時の入院を予約していること(前述)及び、「三浦医師から被告主張のような指示や説明を受けたことはない。」とする原告寛子の本人尋問の結果を合わせ考えると、被告主張の事実もまたこれを認めるに足りず、むしろ、三浦医師は同原告に対し、何の指示説明も行わなかつたと認める外はない。

2  三浦医師の過失

(一) 産婦人科医は、専門医として妊婦の健康を管理し、健康児を出産することができるよう配慮すべき立場にあるのであるから、妊婦に異常児出産の危険性が認められる場合には、その危険性の有無、程度を適確に診断するとともに、その危険性等について十分な説明を行い、適切な指示をすべき義務を負うことは言うまでもない。

そして、右のような産婦人科医の一般的責務と第二項に認定した先天性風疹症候群の重大性やこれに関する医学事情とを合わせ考えれば、原告寛子から「子供が六月下旬ころ風疹に罹患した。」と告げられた三浦医師としては、同原告が子供から風疹ウイルスに感染し、その結果出生児に先天性風疹症候群が発生する危険があることを予見し(原告寛子がその子供と同じころ風疹に罹患したとすれば、その時期は先天性風疹症候群発生の危険が最も高い妊娠第一、二月に当たることになる)、問診、抗体価検査等を行つて風疹罹患の有無、その時期を適確に診断するとともに、同原告に対し、先天性風疹症候群発生の危険性やその病態等について十分な説明を行うべき義務があつたと言わなければならない。

しかし、前述のとおり三浦医師はこのような診断、説明義務を履行しなかつたのであり、同医師の処置に過失があつたことは明らかである。

(二)  被告は風疹罹患の診断の点について、三浦医師が原告寛子に対し、風疹罹患の有無を尋ねたところ、同原告が、「医師に診てもらつたが大丈夫だと言われた。」と言つたので、その医師に再診察を受けるよう指示したから過失はない、と主張する。しかし、被告が主張するような事実を認めることができないことは前判示のとおりであるから、右主張は採用の限りではない。

3  被告の責任

三浦医師が右診療当時小田原病院に勤務していたことは前判示のとおりである。したがつて、同病院を設置、管理する被告は、同医師の過失によつて原告らが蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四損害

1(一)  原告らは、右のような三浦医師の過失により原告寛子が妊娠を継続して出産すべきかどうかを検討し、適確な決断をする機会を奪われ、その結果、思いがけなく先天性風疹症候群という異常を有する子(典子)を出産することとなり、健康児の出産では考えられないような精神的、肉体的、経済的な苦痛を蒙つたと主張する。そして、原告寛子の本人尋問の結果によれば、原告らがこのような損害を蒙つたことは優に首肯し得る。

(二)  これに対し、被告は、風疹罹患を理由とする人工妊娠中絶は優生保護法上許されていないから、三浦医師の過失と原告らの損害との間には相当因果関係がないと主張する。

確かに風疹の罹患ということ自体は同法一四条各号が定める人工妊娠中絶事由に該当しないから、右の理由だけで当然に人工妊娠中絶が可能であつたと言うことはできないであろう。しかし、右はあくまで風疹罹患だけを理由として人工妊娠中絶をすることはできないというに止るのであつて、このことから直ちに原告寛子にとつて適法に人工妊娠中絶を行い得る可能性がなかつたと断定できるわけではない。例えば、第二項の認定に供した甲号各証によれば、前記のように風疹が全国的に流行した昭和五一年当時、妊娠初期に風疹に罹患した妊婦に対して人工妊娠中絶手術が施された例が多数あつたこと、そして、産婦人科医の中にはその優生保護法上の根拠として、「妊娠中に風疹に罹患したことが判明したため、妊婦が異常児の出産を憂慮する余り健康を損う危険がある場合には同法一四条一項四号(妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの)に該当する。」と唱える者があつたことが認められる。そして、右の見解がいうような場合には、人工妊娠中絶を行うことが適法と認められる余地もあり得るものと解されるのであり、また、原告寛子についても右のような事由に該当する可能性があつたことは否定し難いところである。そうであるならば、原告らは生まれる子の親であり、その子に異常が生ずるかどうかにつき切実な関心や利害関係を持つ者として、医師から適切な説明等を受け妊娠を継続して出産すべきかどうかを検討する機会を与えられる利益を有していたと言うべきである。また、この利益を奪われた場合に生ずる打撃の大きさを考えれば、右利益侵害自体を独立の損害として評価することは十分可能である。

したがつて、被告の主張は採用できない。

(三)  また、被告は、原告らは新聞等の報道により先天性風疹症候群の危険性を知り得たはずなのにあえて原告寛子の妊娠継続と出産とを決意したのであるから、右のような決意をしたことには過失があつたとして過失相殺を主張する。

しかし、三浦医師から指示や説明を受けられなかつた原告らに対して、新聞報道等について独自に妊娠継続の可否等の判断をすることを求めるのは酷に失すると言うべきである。そのうえ、原告らが求めているのは慰藉料と弁護士費用の支払だけなのであるから、右のような事情は慰藉料算定の事情としてしんしやくするのはともかく過失相殺をする必要は認められない。

2  次に損害額につき検討する。

(一)  慰藉料 各一五〇万円

(二)  弁護士費用 各一五万円

(三)  以上合計 各一六五万円

五結論〈省略〉

(大城光代 春日通良 鶴岡稔彦)

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